一期一会

いつもより早く日記を書くぞ!!と意気込んでページを開こうとしたら
メンテナンスをしていたのか全く開けずいつもどおり日付が変わってから日記を書くことになりました
ふざけるな、っと
日記は書こうとした瞬間が大事なわけでその一瞬プライスレスなわけで
そんな日記サイト(しかもかなりの規模の)がメンテナンスやらなにやらでかけなくなるとは何事か
まぁメンテナンスはしなきゃいけないのかもしれませんよ、システムとして
でもそんなシステムを全く知らずに扱っている私としましてはそんな都合はしりませんよってことです
『ならこのサイト使わなければいいじゃん』っていう意見も当たり前のようにでるんでしょうが
そもそもそういう言い方をする人には愛が足りないと思います(俺含
人間生きている限り多くのものと出会います
そうやって出会うものには長所・短所が多かれ少なかれ必ず存在いたします
ただ、この長所・短所は困ったもので、短所は見えやすく、長所は見えにくくなっております
これは人間の脳がそういう仕組みになってるからだそうです
詳しいことはネットで調べればわかりますし俺も覚えてないので放置
ただ俺の独断と偏見的考えでは


長所=楽しい事 短所=つらい事・嫌な事と置き換えた場合
楽しい事は何度も味わいたいのであえて記憶から消えやすくし
全く同じことでも楽しめるようになっている
つらい事・嫌な事は多く体験したくないので
二度と同じ轍を踏まないように記憶が強く結びついている
また、長所が見つけにくい理由の一つとしてそれぞれが持つ期待値にあると思う
我々が出会うものに対して抱くものとは刺激であったり新鮮さであったりと常に+に働くものである
中には絶望やら後悔やらといった−に働くものを求める人がいるかも知れないが
俺は出会った事がないのでとりあえず保留
そうやって+になるものに出会いたいと期待しているために人は少しの気配りなどでは満足しない
逆にほんの少し行き届いていないだけでとても気になるのではないだろうか


と勝手におもっております。
あくまで勝手にです。
本当はどうかなんて知ったこっちゃないです
あしからず
つまり長所が見えやすく短所は見えにくいというわけなんですが
ここでそんな短所ばかりのものを良くする方法をご紹介いたします
『短所を取り除く、もしくは対応を見つければ短所すらも長所となる』
そんな格言でございます
例えば暴力的な人がいるとします。あくまで例えですが仮にその人をYとします
Yは学校の壁を壊したり電柱を破壊したり挙句に酒などをひっくり返すこぼし魔です
でも相談事をすると親身になって聞いてくれるという優しい面も持っています
いい人ですが欠点もある一般的な人いった感じでしょうか
いまの話から短所を消してみます
Yは相談事をすると親身になって聞いてくれるという優しい面も持っています
いい人間としかいいようがない人間になりました
ただ少し上っ面しかみていない浅はかさが漂ってしまいました
そこで短所をフォローする一言を加えてみます
Yは学校の壁を壊したり電柱を破壊したり挙句に酒などをひっくり返すこぼし魔です
でも彼がものを壊しても壁の上に写真を貼ってつくろったりしてくれる人がいるので問題ないですし
こぼし魔だと周知の事実なので彼の周りに酒を置く人はいません
誤って彼の近くに酒を置いてしまい、彼がこぼしても
彼がこぼし魔だとわかっていながら置いてしまった人の責任です
さらにYは相談事をすると親身になって聞いてくれるという優しい面も持っています
マーヴェラス!!彼の短所をフォローすることに成功しました
長所しか挙げなかった時よりもすこし欠点のある所が魅力的ですし
加えてそれをフォローする人が近くにいるという彼の魅力、新たな長所が浮き彫りになりました
どんなものにも長所短所があるんですから短所を受け入れられるようになれば
 短所すらも長所となり、前以上に素晴らしい人になりえるわけです
たとえ破壊神でも修理工の仲間が一緒にいてパパッと直してしまえればいいわけですし
たとえこぼし魔だろうと半径3mにこぼすものを配置しなければこぼすわけもないってことですよ
ということで短所が出てくることは大歓迎なのです
逆に短所をどう現せばいいのかわからない場合などは危険なのです
なんとなくそのものに対して靄がかった所があるのにそれがなんなのかわからない
対応の使用がありません。つまり短所の補えない訳ですね
こういった場合いつまでもその人に対して心を開くことができないので
付き合いが長くなればなるほど二人の間の確執が深くなってしまう
まさに泥沼なわけです


話を最初に戻すと
文句・苦情などを言うということはそれを対処する方法を考えるための第一段階だってわけです
文句・苦情が1つ2つあるからといって投げ出すのは鼻水たらしてるガキに任せて
この世の汚さを見てきた私たちはそういった苦情と向き合って対応を考えるべきなのです
そうしていかなければいけないものも出てきますし
そうしたほうが世間と自分との空気が混じっていき、
いまよりも暖かいものになるってもんです
また、文句・苦情を口にするもののそこから先に進む気配のない人
すでに鼻水たらしたガキ以下です
まだ切り捨てるガキのほうが筋が通っていると思います


ある方がこう言っておりました
『好きな人に対して長々と話しをするのはわかるよ、その人のことが気になってるんだもんね。
でも、なんで嫌いな人の愚痴とかのほうがみんな長々としゃべれるんだろう?
そんなに嫌いなら話題にださなければいいのに。
だってそうすれば、嫌いな人のことで無駄に腹を立てることもないし考えることもないんじゃない?』
そのとおりですね
では何故嫌いな物事に対してのほうが人は話をするのか
きっとそんな嫌いな物事でも好きになりたいと心の奥底でおもっているからではないでしょうか
文句・苦情をいって、それを口にしているうちにフォローし
長所へと変えようと目論んでいるのではないでしょうか
つまり嫌いといってる物事を好きになりたいんではないでしょうか
嫌い嫌いも好きのうち 好きと嫌いは隣り合わせ
いままで負け犬の世迷言だと思っていた恋愛格言もあながち間違いじゃないのかもしれませんね


完全にまとめに失敗致しましたがこれが私の限界ですので仕方ありません
こんな短所も誰かがフォローすればきっと長所になることでしょう
だいたい今日他のことを書こうと思っていたんですが
メンテナンスのせいで忘れてしまった次第
ふざけるな、っと(エンドレス突入