十人十色

今日は何故かお姉さま(実姉)とじっくりお話をしていました
ことの始まりはお姉さまの一つの質問から
『ねぇ、私って変わってる?』
『えぇとっても!』と即答したいところを『何で?』と聞いたあたりが私の優しさの限界なわけですが
どうも友人に『○○(実姉のあだ名)は変わってるよね』とマジ顔で言われたそうです
我が家の人間は基本が変なのだから言われて当たり前だというのに
本人は今まで自分は普通だと思い込んでしまっていたらしいです
仕方がないのでどこがどう変わってるかを教えてあげていたらあっという間に4時間経過
自覚がないって怖いねっ!
ただ、4時間のお話(ほとんど講義)の結果、普通って何だろう?と考えさせられたりもいたしました


そもそも普通って何なのでしょうか?
人と人を3人以上で比べた場合に多数決で決まるようなことなんでしょうか?
我が家の辞書によると
『①どこにでも、またいつでもあって、めずらしくないこと。②他と比べて特に変わらないこと、またそのさま』
たぶん人と人の間の普通ってのは②のほうだと思うんですが、そうするとやっぱり他人と比べなきゃならんようです
ただここで一つ疑問なのは、比べる相手によって普通は変わってしまうんじゃないかってことです
だってMyお姉さまは我が家では決して変わった人ではなく、むしろ常識人扱いされてますし
単に俺が、我が家が変わってると知っているから、我が家の常識人=変人ってわかるだけのこと
もしも我が家にしか眼を向けていなかったらお姉さまが変わってるなんて気づくこともなかったわけです
我が家とか小さい視野で見ないでも、ゲンゴロウを食する中国人を非難するイナゴ大好き日本人もいますし
メリケンさんには銃ももってない日本人は非常識っていわれてますしね
ん〜。難しいねぇ、普通って
だいたい人って普通でありたいと願うくせに、個性個性って騒いでる気がします
個性的と普通じゃないってのは違うことなんですか?同じでしょ?
もしも人間の性格に一般基準ってのがあって、皆がそういう性格だったら
エディ風にいえば『そんな世界、こっちから願い下げだよ』ですよ
人それぞれ違うから面白いんであって、それを個性と呼んで重宝してるんだから
『変わってる』っていうのはほめ言葉じゃないんですかね?
だからといって私が皆に変わってる言われたからって喜ぶわけじゃありませんよ
やっぱり変わってる言われたら、わかっていても否定したい気持になると思います
なんでしょうねぇ、俺流でありたいけど皆と一緒でもありたいんですかね
あきらかに矛盾してますがそれもいいように言えば2面性ってことですかね
どんな言葉にも2面性ってのがあって、2面性があるから成り立ってるわけで
人間ってのも個性的と一般的っていう2面があるから成り立ってるんですかね


気がついたら脱線 俺のお約束パターンです
後から無理やり話を戻すのもお約束なので普通って何だ?という話に戻してみます
辞書にあった『他と比べて』という部分にだけ注目
さっきは広い視野だとかで見てみたけど今度は極端に狭い視野で
自分ともう一人だけが存在したとして、たしかに『普通』という言葉は出てこないかもしれないけれど、
『変』という言葉は出てくる気がします
何故か?きっと自分と相手を比較しているからだと思います
自分にない、またはあるものをもっていたりいなかったりしたらそれは変なことになるんではないでしょか?
つまり『変』の基準は自分と違うか否か
よくよく考えたら自分に対して『変わってる』とかってあまり使わないですしね
そう考えたら基準となってる自分が一般ってことになるから
つまり普通=自分ってことですかね
コレデイイノカ?
なんかよくわからなくなってきましたけど(俺の脳内だけで)こういうことなんですかね
自分が普通なんだから人に変わってる言われたらそりゃ否定もするってわけですか
自分が普通なんだから変わってても気づけるわけないですよね、皆が変だと思うのが関の山っす
それなりにしっくりくる答えがでたような気もして全く進展がないような気もする
嗚呼これも2面性ってやつなんですかねぇ?