三日坊主

日本人は『3』という数字が好きだと思う

諺・記念日・慣用句・・・etcいろいろなところに『3』という数字を用いている

例を挙げると

石の上にも3年・3度目の正直・仏の顔も3度・居候 3杯目からは そっとだし

などなどいろいろなところで使われている

ただここで一つ疑問に思うことは

なぜ『3』なのか?『2』でも『4』でもなく何故『3』なのか?!

きっと3という数字に我々日本人の心をつかむ何かがあるに違いないのだ

『3』について

まず手始めにこの数字の形から見てみよう。

丸みを帯び、それでいて中間地点での急な折り返し、そして上下でのシンメトリー

人間が興味を惹かれる丸み、急展開、シンメトリーというものが見事に含まれている

きっとこれが『3』という字が皆に愛されている理由の一つに違いない

だがそうすると『8』という数字も負けず劣らずのはずだ

だが『8』という数字はあまり日本人に好かれているきがしない

今日は『3』について語る日であって『8』について語る気分じゃないので

簡単にまとめると

すぐ近くに『7』があるから仕方ないし例え全人類がお前をきらいでも
ジャコ・ヴァン・ドルマル監督はお前のこと好きだしいいじゃん!

ってことで

引き続き『3』のお話

次に『3』という数字の位置しているポジションについて考えてみる

人類の数字の共通進法は10進法である

なので数字は0で始まり9で終わる

そうしたとき、『3』という数字の位置する場所は4番目

なんと日本人が嫌がる4番目に位置しているのだ

何故そのような場所に位置している数字『3』が人気を維持しているのか?

それは単に4番目という場所の中途半端さが大事なのである

人間は大昔、狩猟民族であった

獲物を追い、捕らえ、その肉を食らう

獲物を捕らえねば飢えてしまうため、人は必死に獲物を追っていた

だがやがて、栽培というものを覚えた

長い時間がかかるものの一箇所に固定してある程度かまってやれば
安定した食料が手に入る

人間が楽をする、という事を覚えた瞬間である

どんな生物でも一度楽を知ってしまえばあとは堕落するばかりである

サファリパークのライオンのように獲物を追うこともなく

スライスされた肉を持ってくるまで動こうともせず

するのはライオンを見に来た子供の心を切り裂く行為だけ

堕ちるところまで堕ちるしかないのだ

故に、人間も例外なく堕ち続けている

今が最終段階なのか発展途上なのかはわからない

だが少なくとも人間が昔より精神的な部分で堕落している事は間違いない

そのため、人が例えを用いろうとするとき、無意識に中途半端な位置の数字を使ってしまうのだ

昔みたテレビ番組で

『人は自分に似たものに対して過度な愛情や憎悪を向ける』

といっていた

そのときは動物や人間だけの事だと思っていたが

もしかしてコレは数字などの無機物であっても通用することではないんだろうか

つまり、人間というのは元々中途半端なものなので同じく中途半端な位置にある『3』に惹かれるのではないだろうか

ゆえに人が例えに用いるとき、

『短くなく、程よく長い』『3』という中途半端な数字を使うのではないだろうか



とまぁコレだけ書いては見たものの

改めて読んでみると

『それはいくらなんでも無理があるだろう、俺』

というもう一つの声も聞こえる

だが俺の脳内で『3』という数字について考えた事は今までヅラヅラと書いたことに間違いないので

訂正することなく載せることにいたします

兎に角そういうことで 兎に角