支離滅裂

いつだったか知り合いに新潟地震についてどう思うと聞かれました
『特に何も思いません』といったら『お前はそれでも人間か』みたいなことを言われました
彼が言うには人は助け合っていかねばならないそうです
だから募金でもボランティアでも何でもいいから行動を起こせ、と言われました
随分と強くいってきたなぁ、と思いながらもそいつの考えは正しいと思いました
でも、なんでお前、スマトラ地震についてはなにも言わないんだ?
あまりに何も言わないもんだからこっちから話題をふったらお前が言ったのは
『へぇ』
それだけかょ!!
またある人はタバコをポイ捨てする私にそういうことはやめろと強い口調で言いました
なるほど、タバコは灰皿に捨てろとなんとももっともなことです。反省
でもそんな立派なことをいった貴方が紙くずをポイ捨てしたのは私に突っ込んでほしかったからですか?



みんな正しいことをいってるのはわかります
人は助け合わなきゃいけないしゴミは正しい場所に捨てるべきです
でもどいつもこいつも自分の言葉に責任をもててないと言うか中途半端な奴ばかりな気がします
自分が完璧に遂行できていないことを他人に強要するってのはおかしいことですし、なにより説得力がありません
個人個人がその場の雰囲気でゴミを拾うのも悪の軍団と戦うのも自由だとはおもいますが
人に対して何かを促す場合、そこには完璧なるものが必要だとおもいます
キリストさんのお話でこんなものがあります


昔々キリストさんは村の人に人気がありました
そして人気者にはそれを妬むものも必ずいました
ある日、そんなキリストを妬む輩が彼にふっかけました
『よぅキリスト、この女は不倫をしたんだがそういう女はユダヤの教えでは石で打てとなっている。さぁどうしようか?』
ここで叩けば?と言いたいところですがそんなことを普通にいったらキリストさんのいつも唱えている愛の言葉がうそになる、でも叩くなといえば神の教えに背いちゃう難問でした
そこでキリストさんは『教えのとおりにすればいい、だが石で打つことができるのは今まで全くやましいことも心に思ったこともない人だけだ』といいました
そうすると誰も罰せなかったといういいお話
別に私はキリスト教もどんな宗教も信じちゃいませんが
このお話には共感できるものがありました
自分も犯したことのある罪に対して人は他人を裁いちゃいけないのです
例え裁こうとしてもその言葉に力はこもらず無意味なものとなってしまうわけです
戦争よくないよ、とどんなにブッシュさんが言っても心には響かないわけです
ガンジーさんが暴力は良くないと言うからこそ心に響いたりしたわけです


言葉には力があると昔の人はいいました
行動には責任が伴うと知り合いがいっていました
他人に強要するって言うことは自らを裁かれるってことです
自分が清く正しいという自信がある人のみ人に強要できるのです
もしくは自分の立場が相手よりも明らかに上の場合、もっともそれは命令という形になるのですが